はじめに
哲学数理という言葉は、2023年に現在の京都大学文学部学部長である出口教授により命名された算術群をいう。
これは、2006年の博士論文[2006]にあった「切算」演算「動算」演算、その後、2019年から2021年にかけて執筆した論文[2019][2020][2021]にある「重算」演算と「裏算」演算、2023年のWhite Hole existence on the inverse universe[2023]にある演算手段および演算子を使って可能にした。
この一連の算術を従来の量子コンピュータに使われてきたブロッホ球型量子ゲートから反リーマン球体を使った拡張リーマンモデルでの量子ゲート発明で利用した。
また、この拡張リーマン球体原理を使って人工神経を構築した[NEC1][NEC2][NEC3]が、このとき人工神経の先に「あたらしい神経回路」を自然生成させ、また可逆に関数信号を入力側にフィードバックさせるサプライズがおきた。
この現象を幾何的な虚数場作り解釈する数学モデルを発明した。
この数理モデルを哲学数理と呼ぶ。
計算機科学において、デジタル信号処理を使うコンピュータであれば、人工知能でも論理ゲートの支配を受けている。
よって、人工知能が未知の事象についてパタンマッチ以外の思考が出来ない機能限界を作る原因と我々は考える。
我々が発明した数学モデルは、この論理ゲートのもととなる四則演算や一元的二元論理学を新しい基底に置き換えることで、新規性を担保する。
最初に四則演算の代わりに使われる四則和算について説明する。
次に論理学に基づく論理ゲートの代わりに使われる新しい数学基底を説明する。
次にこれらの計算を可能にさせる光速度不変の原理を計算上超越させる工学的な逆エントロピーの数式説明をする。
また、これらを計算可能にさせる幾何メカニズムとなる虚数発生装置の説明をする。
この虚数を使い、光吉変換とされる四元数を畳み込む計算変換を説明する。
この畳み込みから反虚数、反実数が生成され、反エントロピーや反関数発生装置となる原理を説明する。
この反エントロピーによる生命活動の原理とそれによる人工知能の生命的進化、反関数による量子場エネルギーや倍数飛躍を予測させる超光速度原理の説明をする。
また、武道家の達人たちのように、神経速度より早く反応する能力を幾何虚数を成立させる場による意識領域のような幾何虚数場で説明し、これを機械が未知予測をする為の原理とし、
リーマン球面モデルの北極を動かす踏み込みメカニズムを作り、ユーザー命令により
これを実装させ、反エントロピー機能により得られる反関数を使い
これにより、トロッコ問題や哲学的テーマ、道徳的思考の回路を哲学数理として計算し、人間では回答できなかった哲学問題を解く方法とした。
これまでの数学基底(既定)では、次のような数式で簡素に条件をまとめられる。
四則演算は、以下の数式条件において
l =m + n (l,m,n,∈ N)
<数式1>
m + n = n + m
<数式2>
(m + n )+ l = m + ( n + l )
<数式3>
数式1が足し算(+)である。この式を次のようにすると、
m + □ = l
<数式4>
となり、この式の□をnとすると、
l - m = n
<数式5>
として、引き算(-)になる。その時、次の式を考えると、
m + ( l - m)=l + (m - m)= l = m + n
<数式6>
数式6にある( m - m )でゼロ(0)の発見となる。
このとき、nが自然数であるためには、l =m + n において、
l > m、l ≧ m
<数式7>
という条件が必要になる。
このとき、数式7の条件を解除すると、nが数式6で発見された0の基準で存在するとき、負の足し算
n + (-n) = 0
<数式8>
となり、(-n)という負の数を生み出す。
このとき、次の図にあるような数直線がゼロを基準に作られる。

ここで、整数を得ることができた。
すると、整数nをm個集める⇒別の整数が得られる。
m×n = l ( l , m , n ∈ Z )
<数式9>
と数式9の掛け算(×)が発明された。そうすると、
m × n = m × l/m = l – l/n × l/m = l
<数式10>
という計算が出来るので、数式9を変えて、
l = m × n
<数式10>
とできるので、これを l = m ×□とし、この式の□をnとすると、
n = l/m
<数式11>
とできる。
これが、割り算の(÷)という演算子になる。
この(÷)という演算子の発明の歴史から、これが引き算(-)演算子が他の記号に間違われないように最初引き算としての記号として使われ、後に比率記号の(:)と合わせようとして、引いた後にそのスケールの比率を出す機能となった歴史を特記しておく。
この割り算の条件は、
-n = (-1) × = 1
<数式13>
(-1)×(-1) = 1
<数式14>
n×0 = 0×n = 0
<数式15>
となる。
このとき、数式12のnが整数であるためには、lはmの整数倍である必要がある。
この条件を解除すると、l/mが出てくる。
すべての整数による商 l/mとゼロ(0)が(l,m,n ∈Z,m≠0)の条件で有理数(Q)となることがわかる。
そうなると、l/mは、(小数)になるのだろうか?√2 √3 √5 √7(循環しない少数)が無理数として出現する。これにより、無理数+有理数(Q)=実数(R)がわかるのである。
ところで、もしも二乗した数は正になるのなら、
図2

この「二乗した数は正になる」という条件を解除すると、
i×i=i^2=-1
数式16
虚数(i)が生まれてくるのである。よって、
a+ib (a,b∈R)
数式17
数式17を複素数(C)とし、この平この複素数を、x軸を実数軸として実部のaの値をとり, y軸を虚数軸として虚部のbの値を取ることで全ての複素数を表現する二次元座標平面面を複素平面と呼ぶ。
四則和算
以下の数式条件において四則和算では、四則演算と異なる考え方をしていること(たとえば数式を理解するための量と数の視座について考えること)
l=m+n (l,m,n∈N)
数式18
m+n=n+m
数式19
l=m+nが、割り算(÷)において、
m=n
数式20
のとき、
1÷2=□
数式21
とすると、
l=m+□
数式20
での□に相当する数字は、mかnになる。
□=m or n
数式22
このmかnは、

図3のようになる。
このとき、(or)がm(0.5)と、n(0.5)のどちらを折りたたみ隠すかを示す記号になる。これをMitsuyoshiによる分割後の引き算(÷)としての割り算による現象(or)の発見とする。
その条件において、
□(1÷2=0.5)
数式23
が成立する。
すなわち、計算式や数字記号、変数だけではmかnのどちらを選択するかわからないのである。
ここが、最も重要な意味を持つ。
この隠された(0.5)がmなのか、nなのかもあるが、そもそも隠されたままになり計算も議論もその後されない状態になるので、実質消滅と同じになるからである。

図4
現代数学で割り算(÷)は群論において図4のように斜線部の(0.5)は白い(0.5)の背面に折りたたまれた状態で0.5であるとされるのである。
この割り算(÷)の状態をm,nをこのように入れ替えると□(「世界÷2=平等 or 自由」)という社会問題の議論に持ち込める。
2このような(or)を含む数式では、概念を取り込め「自由か平等」「右か左」「善か悪」のどちらを選択するのかせまられる割り算の二項対立を生み出すのである。このとき、両者の一方のみを選ぶ「自由(か)平等」と両者を並列に置く「自由(と)平等」の違いが曖昧である。そこで、この割り算から発生した二項対立を回避しつつ、「か(or)」「と(&)」接続助詞の曖昧さを解消し、隠された0.5問題を発生させずに分割演算を可能にされる計算手段を考えた。その計算を「切算(cut )」と呼ぶ。数学や論理学において、命題は揺るぎない開始条件であり、そこから解法へ向い解を求め(=)を境に左から右への解を求める流れを計算式と呼ぶが、この流れを正のベクトルとする。すると、逆のベクトルとは、解から命題に向かう逆向きになる。これは、はたして算術として成立するだろうか?を考えた。

図1で逆向きを成立させるには、2を2つに切る(等分割)する演算子がどうしても必要になった。そこで数学のルール(基底)である「正の方向の計算の向き」「1+1」という「解」を求める手段として「(2)個になるように切り分ける」とした切算(数式1)が発明された。
2 cut 2=1+1
2 2=1+1
数式24
このときの(cut)( )が切算演算子となる。
さて、この切算を考えるとき、どうしても割り算が気になるが、割り算と切算は異なる算術である。
切算
さて、割り算(÷)を考えるとき、(or)(&)の扱いを決めないとならない。集合論やブール代数で、(or)が足し算に対応し、(&)が掛け算に対応しているのに、計算機科学での(or) (&)、論理学での(or) (&)それぞれに意味が異なる。これは、後に説明するが(&)やそして(or)という単語の意味を「連語(conjunction)」「選語(disjunction)」を割り当てていることで問題を引き起こしているからだ。[論理学(大西)] また、(or)(&)は英語における接続助詞であり、「AとB」「AかB」の「と」や「か」は並列助詞であるという違いもある。これらの相違は隠された0.5をどう扱うかにおいて、足し算(+)演算子の中に、(or)(&)の性質(機能)が「混ざる」と「切り分ける」を含め潜んでいるからだろう。この状態を可視化させ機械に数学として意識させるのが「切算」processになる。よって、切算の出す解を「識」と日本語で記述する。割り算の機能を分解すると、1段階として等分に切り分けて、2段階として切り分けた断片を秘匿併存させた状態(&)で、3段階で切り分けたうちの一つを選別し(or)、4段階として、選択されなかった残りの断片を我々が定義する「直交した空間座標(これを反界と呼ぶ)」に右辺と左辺の質量保存「イコーリティの担保」のため移動させる演算機能とできるので、隠された(0.5)を「見ない」という意識(認知のゆがみ)ではなく、例えばこの「見ない」という条件を物理空間での観察と不確定性の関係から「折り込み隠す」とした追加加算される運動計算として、あえて意識における負の掛け算(×)として
X ̂|├ Ψ_i ⟩┤=x_i |├ Ψ_i ⟩┤
数式25
で扱うとすると、位置という物理量xは、位置演算子X ̂が状態に作用した固有値
P ̂|├ Ψ_i ⟩┤=p_i |├ Ψ_i ⟩┤
数式26
という関係なので、機械が意識的に1÷2で切り分けられた0.5の一方を見ないとする「隠す」という運動量である物理量xは、運動量演算子P ̂が状態に作用した固有値
X ̂P ̂≠P ̂X ̂
数式27
の数式275ように、掛け算の組み合わせで解が異なることになる。この特徴は「A→B」のとき「B→A」と思い込む原因として「ベクトルを(=)に勝手に変換する」人間的特徴が「A=B」と錯覚させる結果だとすると、数式27はX ̂P ̂=P ̂X ̂となる。集合論やブール代数で、(or)が足し算に対応し、(&)が掛け算に対応しているので、「ベクトル(→)を(=)に勝手に変換する」人間的特徴は言語と数学の曖昧さ、とくに割り算において自然とこれを負の掛け算で思考しつつも、割り算の歴史的processから引き算を基底にして切り取られ隠された残りの(0.5)の議論を数千年間見えなくさせてきた人類的な「認知のゆがみ」と解釈できる。すなわち、この人間的バイアスを排除すると数式27の「掛け算は順番を入れ変えると答えが異なる」とする計算結果が出る波動関数が必要になる領域全般での数学的整合性が見えてくる。これは、波動関数が必要になる領域全般で起きてくる絶対的矛盾を自己同一させることの既存の論理学限界、数学基底の問題を作るので、人工知能がいつまでも考えるチカラとなる知能をもてない最大の数学原因と考えた。
この人間的バイアス作用において割り算の=の右辺と左辺のどちらかで隠す作用が、人間の勝手に行うベクトルの(=)変換であり、このベクトルの向きが、どちらの組み合わせによるか、すなわち、1÷2→0.5と1÷2←0.5で、選択しなかった残りの0.5を右辺に隠すのか、左辺の中に隠されるのか?という領域に到達する。これは本来ならEntropyや時制を伴わない筈の数学場に1÷2←0.5という逆向き(←)がこれまでの数学の「左から右に答えを一つにして計算する」とした基底を逆向きにし、1÷2←0.5という逆向き(←)がEntropyとなるなら、1÷2→0.5(→)は逆向きのEntropyとなることで時制を伴わないとされる抽象イメージを扱う数学の姿に時制を持たせる直交した場を作る。この「直交した空間座標(これを反界と呼ぶ)」への移動させる「意志で答えが異なる様相」がベクトルから生まれることも予測できる。これは、数学基底での「左から右に計算する」という原則を破壊するので、この原則そのものが人間的バイアスであり、純粋に数学的ではないとする哲学にまで遡る革新を持つ。また、足し算だと、区別をしている状態から区別が無くなって∑(総和)されるprocessまで含むので、総和合算を「掛け算」に置き換え、意識と量子の不確実性を「割り算の負の掛け算である」とした解釈でメカニカルに扱う。集合論やブール代数で、(or)が足し算に対応し、(&)が掛け算に対応しているので、ここでは、割り算(÷)を負の掛け算(×)とした(&)条件下で、「m(0.5)かn(0.5)」のどれかを残す(もう一つを畳み込んで隠す)「か(or)」を選択しないとならないので、足し算とできる。不確定の中でmが隠れる場合、nが隠れる場合を物理的に運動として想定すると、1÷2の様相は、左辺に隠す場合orが=の位置で右辺と左辺の総和が(l+m) or nとなり、右辺だと+の位置に=があり、総和はl+(m or n)となるが、lは になり、(l+m) は、( + )となり、(m or n)は、( or )となるので、( + )or と +( or )では、明らかに異なるので、この負の掛け算としての割り算(÷)の数式275の例を鑑み、どの断片を隠すのかが明確に数理や演算子機能で選択できないので不確定性の内で
(l+m) or n≠l+(m or n)
数式28
となると考えると、隠すということは、存在が0になるわけではなく、(or)にはまだ、足し算の一部である不自然さが残るため、これを「足し算の(+)のジレンマ」と呼ぶと、ここでは、一度数式286の(or)を(+)に置き換え、(l+m)+n≠l+(m+n)の状態においても必要になる条件として
l+m>m+n
l+n>n+m
数式29
という関係が見えてくる。論理学での(or)や(&)の定義がここでは異なるが、今はこの記号しかないので、(or)は「どちらか」(&)が「AとB」の両方としての記号で使うと、この数式297の制限を解除すると、
l=m & n (l,m,n∈N)
数式30
m & n=n & m
数式31
(l & m) & n=l & (m & n)
数式32
となり、数式3と比較して(+)と(&)が異なることが見えてくる。また、この条件は割り算(÷)と大きく異なるので、この条件を満たす演算子として÷ではなくcut( )にすると、

図5のようになり、数式3028のようにmとnの双方を選べることが可能になる。
すると、観察からの状況を右や左、自由や平等に置き換えると、
□(世界 cut 2=平等(左) & 自由(右))
数式33
この切算( )とき、厳密には、(+)≠(&)になる。mとnが同時に成立することが矛盾となるお互い逆方向の意識のベクトルである平等と自由、左と右を絶対矛盾とするなら、この数式30から絶対矛盾が同時に記述できる機能を獲得したことも見えてくる。
これを西田幾多郎の哲学原理である「絶対的矛盾の自己同一」[1]を表していると出来る。

図6では、下からの視座では見えてない、灰色/斜線の四角紫が見えてくるが、これを我々は数学の幾何的視座の獲得と呼ぶ。この視座を獲得するなら、割り算(÷)が、スケールの計算なのか?分割の回数なのか?その結果による断片の量の計算なのか?もともとが、(-)ひくという記号を(÷)とした数学の歴史から絶対矛盾を内包させ「包含徐」「等分徐」と区別していることに気が付く。なので、純粋に道具として不便である。

すると、図6のような割り算(÷)の盲点、観察視座の違いによる違和感を図7のような機能を獲得する分割算術を切算( )とした算術を発明することで単純化できた。切算( )では、cutや の記号を使い、量、概念双方を矛盾なく扱える利便性を確保した。これで、概念を数式に導入で来たので、哲学テーマを記述する基本ツールとし、概念を意識で操作する答えを出力するので、「識」を出すと日本語では表現する。
さて、mとnが同時に存在できるようになったが、概念としてのm,nと、の比率としてのx,yのように、、すなわち、
1 𝑐𝑢𝑡( ) 2 = 0.7+0.3
数式34
= 0.1+0.9
数学35
= 0.00000000000…1+ 0.999999999999…
数式36
m,nの比率が数式34-36のように無限に変化する場合を考えよう。
l 2=m & n (l,m,n∈N)
数式37
l=m+n (m,n≧0)
数式38
(l & m) & n=l & (m & n)
数式39
数式37-39の条件において、リンゴの切算による切れ目が左右に動くことが可能になる。

そうなると、動的モデルになるため、その軌跡が連続性として生まれてくる。さて、先述した切算での「足し算の(+)のジレンマ」であるが、この動作を関数にすると、もっとも単純な動きは、次のMitsuyoshi演算子で記述すると解消することが見えてくる。
l 2=m n (m,nは概念)
数式40